写本のナスタアリーク体を読む1(「カユーマルス王」第7対句)
ここでは、「タフマースブ1世のシャー・ナーマ(シャー・ナーメ*1)」より、カユーマルス王の御所の場面にあるナスタアリーク体テキストを解読してみます。
英語版Wikipediaによると、「タフマースブ1世のシャー・ナーマ(シャー・ナーメ)」は、1520年代~1530年代に作られたシャー・ナーマ(シャー・ナーメ)の細密画写本で、テキストは極上のナスタアリーク体で書かれています。元々は、サファヴィー朝の初代シャーであるイスマーイール1世が、オスマン朝の壮麗帝スレイマン1世への贈り物として、国内の著名な絵師を集めて1520年代の前半頃に作成を開始したもので、完成はイスマーイール1世の死後、後を継いだタフマースブ1世の時代の1530年代と推測されています。写本は1568年に、スレイマン1世の後を継いだセリム2世に贈られ、長らくイスタンブールのトプカプ宮殿にありましたが、現在はいくつかのコレクションに分割され、世界中の複数の博物館等に保管されているようです。
ここで取り上げる「カユーマルス王の御所」の絵は、スルタン・ムハンマド(ソルタン・モハンマド)という絵師によるもので、文字も彼によるものかもしれません。
「カユーマルス王」第7対句
「カユーマルス王の御所」の場面には、カユーマルス王の節の第7対句~第11対句が書かれています。まずは、最初の第7対句を見てみます。
書かれているテキストは、以下のとおりです。
چو آمد ببرج حمل آفتاب، جهان گشت با فر و آیین و آب
なお、ナスタアリーク体のフォント「IranNastaliq」では、次のようになります。
読解
この対句の読み(古典音)は、以下のようになります。
čū āmad ba-burj-i hamal āftāb,
jahān gašt bā farr u āyīn u āb.
現代イランの標準ペルシア語では、以下のようになります。
čo āmad be-borj-e hamal āftāb,
jahān gašt bā farr o āyīn o āb.
なお、タジキスタンのタジク語でのキリル文字表記は以下のようになります。
Чу омад ба бурҷи ҳамал офтоб,
Ҷаҳон гашт бо фарру оину об.
意味は以下のとおりです。
太陽が白羊宮に来た時*2、
世界は栄光、秩序、光輝にあふれた。
詳細読解
まず、対句の前半「چو آمد ببرج حمل آفتاب」を詳しく見てみます。
対句の前半を翻字すると、以下のようになります*3。
čw āmd bbrj ḥml āftab
最初の2単語「چو آمد」(čw āmd)は、IranNastaliqとほぼ同じです。以下、IranNastaliqと同じ形の部分は考察を省略します。
次の「ببرج」(bbrj)は、3文字目の「ر」(r)の前が長く伸びています。IranNastaliqは対応していませんが、特定の状況下で「ر」(r)の前を伸ばすのはナスタアリーク体の特徴のひとつです。
前半最後の「آفتاب」(āftab)は、「ف」(f)と「ت」(t)の点がまとめて3点として書かれています。「فتا」(fta)は「مثا」(mṯa)と紛らわしいですが、語頭形の「ف」(f)は最初のコブの右側から次の文字に続き、一方で語頭形の「م」(m)はコブの左側から次の文字に続くので見分けることができます。
次に、対句の後半「جهان گشت با فر و آیین و آب」を詳しく見てみます。
対句の後半を翻字すると、以下のようになります。
jhan gšt ba fr w āyyn w āb
後半2単語目の「گشت」(gšt)は、「گ」(g)の上の線を省略して「کشت」(kšt)と書かれています*4。
後半最後の「آیین و آب」(ā)は、二つある「マッダ付きアリフ」のマッダがひとつ省略されています。距離的には最初のアリフのすぐ近くにマッダが書かれていますが、やや後ろにずれているようにも見えるので、実際に書かれているのは2番目のアリフのマッダである可能性もあります*5。また、「آیین」(āyyn)は「ی」(y)の点が2つだけですが、これは省略されているというよりも、流儀の問題かもしれません*6。
(写本のナスタアリーク体を読む2「カユーマルス王」第8対句に続く)
*1:この記事のペルシア語のカタカナ表記は、括弧の前が古典音、括弧内が現代イランの標準語音とします。
*2:白羊宮は春分からの1ヶ月間、すなわちイラン暦1月=ファルヴァルディーン月であり、「太陽が白羊宮に来た時」は「新しい年が明けた時」という意味と解釈可能でしょう。なお、白羊宮(ハマル)はイラン暦1月のアラビア語名でもあり、イランのペルシア語では近代のナショナリズムの高まりで古代からの月名が正式な月名とされる以前はこの名称が主に用いられ、アフガニスタンのペルシア語(ダリー語)では現在でもこの名称を用いているようです。
*3:アリフ(アレフ)の翻字は「'」を使うことが多いですが、ここでは「a」を使います。
*4:あるいは、この時代はまだg音も「ک」で書いていたのかもしれません
*5:両者を統合してひとつのマッダにした、という可能性もあるかもしれません
*6:現代においては、「ی」が二つ続く場合の綴りには、最初のヤーに点をつける場合(例:「آیین」)と、最初のヤーにハムザをつける場合(例:「آئین」)があり、現在は前者が一般的ですが昔は後者が一般的だったようです。